親方から教わったお寿司・市場の歴史

これから読んでいただくものは、

主人が親方から修行時代に教わったことを元にお伝えするものです。

当HPでのご挨拶の中で、修行した店が「後に江戸時代末期創業の店だと知る」と書きました。

主人が入店して数年経った後、150年前創業と聞いて主人と私は計算しました。

「え…、江戸時代じゃん!?」

そして日本橋に魚河岸(市場)があった頃に屋台から始まったことを知ります。

日本橋魚河岸は、17世紀初めから約300年間、大江戸の人口が100万人(当時世界一の台所)でした。

場所は現在の日本橋本町1丁目~日本橋室町1丁目です。(首都高江戸橋JCTから日本橋三越の川の北岸)

この辺りに存在し、浮世絵としても有名な場所です。

余談ですが、主人が神保町の大屋書房さんでこの日本橋魚河岸の絵を買おうとしましたが数百万円したので諦めました(泣)

この魚河岸は、殿様に献上する御用魚(特に鯛が縁起が良くよく好まれたよう)の余ったものを売ったことから始まったそうです。

江戸の近海をはじめ、房州(千葉)・相州(神奈川)・ 遠州/豆州(静岡)から魚が集まりました。

17世紀におよそ15万人だった江戸の人口は、18世紀には100万人と爆発的に増え、人々の腹中におさめられていきました。

その後、1923年関東大震災に被災してしまい、東京改造計画で築地に移転することになりました。

それと同時に主人の修行をした店は、築地市場内に移転し、親方は4代目としてお店を守っていたのです。

寿司の歴史というより、市場の歴史となってしまいました。

次回はお鮨にフォーカスを当ててお伝えします。

ここまで長文となり恐縮ですが、ご覧いただきありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

女将/佐藤美由紀

※下記写真出典:日本橋東京|現代と古代の両方の日本文化を体験できる場所 (nihombashi-tokyo.com)

【日本橋魚河岸繁栄の様子の絵です。右端に寿司屋らしき小店があります。】
【有名な広重の東海道53次の日本橋の絵です。】