前回のつづき

その当時は冷蔵庫がないため井戸に魚を吊るし、

冷やして少しでも長く鮮度を保てるようにしていました。

1日1本2升の米=20合のシャリを炊き、酢飯にして売り切ったら終わりという商いでした。

当時の握り寿司はテニスボール1個分くらい。

一貫が今の6~8倍くらいの巨大なお寿司なので1日それほどの貫数でもなく、

大雑把に魚をのせて「バンッ!!」と握られたものだったようです。

大の大人が2~3口噛み切らないとならない大きさでした。

そのため、数貫食べたらお腹いっぱいですから

当時の寿司は労動者のファストフードであり、高貴な人達が食べるなのではなかったのです。

(※一貫の寿司を食べやすく、2つに切ったのが後に

1オーダー2貫同じネタが出てくるスタイルになったようです。)

(※一貫とはお金の束と寿司が同じくらいだったから、当て字っぽいところが江戸っ子のシャレたところ。)

一軒店の寿司屋か出来たのは江戸時代が終わる頃から明治初期

両国の華屋与兵衛さんが有名ですね。江戸っ子が大行列だったそうです。

明治後期になると割烹料理と寿司を合わせるスタイルを確立した職人が現れ、

寿司の格やイメージがぐっと上がりました。

次回の歴史に関しては「江戸前」について、お伝えしてしたいと思います。

お楽しみに!!

女将/佐藤美由紀

【参考文献】

https://www.mizkan.co.jp/sushilab/manabu/1.html