親方と出会って

親方は一言で言うと、”やんちゃで高貴な人” だったと思います。

ご挨拶のところで、

求人広告を偶然見つけて面接に行った先が築地市場内の鮨店だったと書きました。

市場の中の店なので、朝は早いが帰りも早いだろうなんて高を括って面接に行ったのです。 

そして即採用となったわけですが、入ってみれば朝も早いし帰りも遅い。

閉店してからの仕込みと掃除が半端ない。

キツイ、、、とにかくキツイ仕事でした。

親方、、、当然コワイ

仕事、、、教えてなんてくれない

最初の数年のうちに何千回と”辞める” “もう辞める”と言っていました。

その中でどうして辞めずに29年もこのお店に勤めていたかというと

数年経った時に女将さんから聞いた一言が主人を気持ちを支えていました。

最初の面接の後に、親方が言った一言です。

“あいつはモノになるよ”

数々の誘惑

その後、、、

修行が数年経ち、小僧から

少し仕事ができるようになってくると

他の鮨店から、スカウトというか うちに来ないか的な誘惑があるわけです。

そして、何軒か面接したり、

銀座の某有名店に食事に行ってみたりしていました。

散々悩んだ挙句、、、

“うちの親方の仕事は素晴らしい”というところに落ち着き、

長い間お世話になった訳です。

親方から得た教訓

メディアが好きではない親方だったので有名ではなかったかもしれませんが、

毎日通ってくれる市場の社長衆が 飽きないように

鮨割烹のような料理を常に研究していました。

カラスミの作り方を九州まで見に行って

それを元に独自の作り方を編み出したり、

江戸前鮨の代表的な鮨の煮物の鮨に

プラスαするように常に研究していました。

松茸のシーズンになれば、土瓶蒸しを作ったり

あんこうを吊るして捌いてあんこう鍋を作ったり、、

もちろん鮨が素晴らしく品があり美しかったと主人は言っておりました。

親方は、鮨の歴史のことは教えてくれましたが、

仕事のことは何にも教えてくれなかったと主人は言います。

魚の捌き方、

鮨の握り方、

そんなもの教えてたまるか、、、

なんでだか教えてやろーか?

オレの仕事がなくなるからだ!

笑い話みたいですが、本当に教えてなんてもらえない

教えてくれないからジッと見ていると

なに見てんだ!バカヤロー

盗み見ようとすると見えないように仕事する 笑

、、、という様子だったそうです 笑!

鮨の握り方も 鮨を握って手の中で返す

返し方が、鏡を見るように親方とは反対になってしまいました。

反対に返す職人は千人に1人だそうです。

暫くして親方に直した方がいいか聞いてみると

“握れてるからそのままでいい”と言われ今に至ります。

とにかく毎日、お前は憎たらしいとばかりに

あー言えば違う、こーしても違う

白だけど黒なんだよ

とばかりの問答の毎日、、、

辞めたくなるのもわかります。

それも親方の嫉妬があったということらしいです。

親方と言えども、鮨を追求し続ける求道者

現在進行形の人です。

そこに若いもんが入ってきて優しく教えてやるなんて

できる訳なかったと思うのです。

オレが苦労して(研究、鍛錬) 得たものを簡単に教えてたまるか!

そんな気持ちだったのかも知れないと今になれば思うのです。

人生や人の気持ちの綺麗ゴトでは済まされない

いろんなことを教わったと思います。

親方だけでなく、店の方々も、同様です。

きっとその厳しさを知らずに時成を開業していたらすぐ潰れていたと思います。

感謝しています。

次回は私が実際に親方にお会いした時のお話をいたします。

次回もお楽しみに!

女将 / 佐藤 美由紀

雑誌に掲載された親方と主人の写真です。